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姑の話

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クリスマスイブの朝、義母が亡くなりました。95歳と半年。眠っている間の脳出血です。入院することなく、自分の望んでいたような死に方で逝ってしまいました。11月末に手紙をもらっています。悪くなった白内障のレンズをレーザーで治療したら、よく見える様になって嬉しいとのこと。私や娘に会えるようにまた少しずつ歩く練習をしていますとのこと。しっかりした字で書かれていました。全く起きられなくなったのは3日間だけだったそうです。
東京の麻布で産まれた義母は女学校卒業後に挿絵画家の夫と結婚して目まぐるしく忙しい毎日を過し、28歳の時夫に先立たれてしまったのです。そして戦中戦後を苦労して二人の息子を育てました。
義母の凄いところはとっても記憶力の良い事。昔のことをとても良く覚えているのです。引越し好きの夫だったので東京の根津辺りで5回位の引越しをしているのですが、何丁目何番地まで記憶しているし、小学校や女学校の友達をフルネームで全部言ってみせたり、ビックリです。女学校の時避暑に行った千葉の海で溺れ、死にかかった時の臨死体験も聴きました。小学校の時選ばれて、青い目の人形のお返しに日本人形を贈る役をやったこと。女学校への通学時に渋谷駅で本物のハチ公を見たという話。また夫が菊池寛の新聞小説「貞操問答」の挿絵を描いていた関係で仲人をしていただいたそうです。盆暮れには愛飲のキャメルという煙草を届けたそうで、「菊地さんはいつも玄関の奥に座っていたわよ。」とか、「井伏さん(鱒二)は原稿を書くのが遅いから、奥さんが夜遅くタクシーで家に原稿を届けに来て、それから明日の朝刊に間に合うように挿絵を描くから大変なのよ」とか、当時の文化人の方々の面白い話もいろいろ聞きました。
15年間私達と暮らして、その後八王子の方に移りましたが、93歳まで一人で3時間以上かけて電車を乗り継ぎ、我が家に来ていました。私達と暮らした15年間は、借りた畑で野菜作りを研究して楽しんでいました。79歳の時に八王子に移ってからは庭がないので、今度は図書館通いの楽しさを見つけて6年間に1000冊の本を読んだと言っていました。その後も読み続けていたので、どれほどの本を読んだのでしょう。「図書館中の本を抱え込みたいと思ったわ。」と言うほど本の魅力にはまったみたいです。大雨以外は毎日外に出て歩くので、町の中で評判になり、知らない人からいろいろ声を掛けられたそうです。自分の意思でなく環境が変わった中でも前向きに人生を開いていました。強い意思と柔軟な頭を持たなければいけませんね。母から教わりました。私が何かを作るといつでも誉めてくれるのです。それも励みになりました。喜んでくれる顔をみるとまた頑張ろうという気持ちになりますから。晩年は28キロしかなかった身体にどうしてこんなパワーがあるのかと思うのですが、何時間でも話し続けられるのです。聴いている方がへとへとになってしまう程。私はいつも聴いているので何となく聞き流してしまっている部分もあるので、今となってはもっとしっかり聴いておけばよかったと後悔しています。義母の話がテープにとってあるので、後でゆっくり聴いてみようと思っています。日記も毎日つけていました。母からの手紙は15年間で5冊のファイルいっぱいです。95年間の波乱万丈な人生を本当にしっかり生きてくれました。お母さんありがとう。ゆっくりお休みください。 
もうすぐ2010年が終わりますね。新年のご挨拶は遠慮させていただきますが、皆さん良いお年をお迎えください。

by mamakoba | 2010-12-29 21:24 | Comments(0)  

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